2010年10月18日

『続「アメとムチ」の構図 第2部44 政府の介入』沖縄タイムス

[続「アメとムチ」の構図・砂上の辺野古回帰]第2部の連載が続いています。

今日の記事も見ず知らずの地方議員の携帯電話に、中央官僚が直接電話して恫喝を行うという印象深い内容でした。沖縄タイムス社に敬意を評しつつ、記事を持ち帰らせていただきます。

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[続「アメとムチ」の構図・砂上の辺野古回帰]第2部(44)政府の介入
官僚から議会に圧力 「条件整備」に難色
2010年10月18日

 名護市議会の移設容認派の現職、元職の市議たちに、「これまでの普天間移設問題の経緯の中で政府からの圧力や介入はあったか」と問うと、多くが「あったが、具体的には言えない」と口をそろえる。

 官僚や国会議員との関係悪化を恐れ、地方自治への介入の事実さえ覆い隠されるのが常だったとみられるが、過去には表面化した希有(けう)な例もある。

 2001年6月の名護市議会定例会。米軍普天間飛行場代替施設の複数案段階での環境影響評価(アセスメント)実施や15年使用期限の設定など「条件整備」を求める意見書案が賛成少数で否決された。11対13の僅差(きんさ)だった。

 「政府高官から意見書を取り下げるよう圧力があった」

 筆頭提案者の市議屋部幹男が、採決前の提案説明の際、議場でぶちまけた「爆弾発言」が波紋を広げた。

 「北部振興策はもうなくなる」。意見書案が浮上した直後、屋部は普天間飛行場の移設とそれに伴う振興策を担当する政府責任者のポストにある内閣府沖縄振興局長安達俊雄から電話でそう告げられた。

 屋部は電話を受けたときの衝撃を今も鮮明に記憶している。「完全に恫喝(どうかつ)、それに尽きる」。受話器越しの息づかいや激しい口調からも安達の怒りが伝わった。1996年の橋本―モンデール会談で移設条件付き普天間返還が決まったのは、日本側から「お願い」して実現した、との思いが官僚には強くあった。条件にこだわると移設が実現しない、というのが政府側の論理だった。安達の言葉にも「こちらから(米側に)お願いしたにもかかわらず、こんな条件を付けてどうするつもりだ」と叱責(しっせき)する口ぶりがにじんでいた。

 屋部は安達以外にも、自民党の国会議員から、忠告やアドバイスを何度となく受けたという。「そのとき言われたのが、ハードルが高すぎると。使用協定締結や日米地位協定の改定はよしとしても、使用期限はハードルが高すぎる。これは取り下げてくれと言われた」。普天間代替施設の15年使用期限設定は知事稲嶺恵一の公約だったが、名護市議会にまで実現困難な制約を付されてはかなわない、というのが政府の意向だった。

 「条件整備」の意見書提案を呼び掛けたのは市議会の会派「和(なごみ)の会」。屋部は新風21の初代会長を務めた後、脱会し、当時は和の会幹事長だった。安達からの「圧力」は、和の会のほかの議員にも及んでいた。

 屋部が同会の議員に、安達から電話があったことを報告している最中に、その議員の携帯電話に安達からの着信が入る、といったこともあった。「番号を教えた覚えもないのに携帯に電話がかかってきた。うわーってなった」(肩書は当時、敬称略)(続「アメとムチ」取材班)
84%の辺野古移設反対という沖縄の民意と名護市長選挙、名護市議会の結果、また名護市議会、県議会の反対決議が、このような恫喝を日常的に受けながら示された結果…ということの重さ、このクニの民主主義の危うさを、日本の人たちもマスメディアもしっかりと知る必要があります。

いま上関で起こっている出来事、クニと企業が疲弊させた地方を喰いものにし、恫喝しながらゴミのような施設を押しつけている構図は沖縄と同じです。


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Posted by n_n at 12:59 │座り込み