2010年04月24日

東京新聞:「偏見」「不公平」の歴史に募る憤り

東京新聞「特報」より転載します。

「偏見」「不公平」の歴史に募る憤り

普天間問題の底に流れる沖縄県民の思い

◆山梨学院大我部政男名誉教授に聞く

 沖縄・米軍普天間飛行場問題で、現地では二十五日、超党派で十万人規模の県民集会が開かれる。集う人々の心には基地問題の枠を超えた憤りが渦巻く。同じ国民でありながら長年、押し付けられてきた「不公平」や「偏見」。戦中、戦後の沖縄を生きた山梨学院大名誉教授の我部政男さん(70)は「鳩山さんは積もり積もった県民の怒りに火を付けてしまった」と語る。自らの体験と重ねた県民の思いを聞いた。  (田原牧)

 「幼稚園児なのに僕はたばこを吸っていた」。我部さんは記者のたばこを見て、そう笑った。

 太平洋戦争の敗戦を五歳で迎えた。「米兵はたばこだけでなく、缶詰やせっけんもくれた。当時の人々の生活を目の当たりにして、そうせざるを得なかったのだろう」

 沖縄は十七世紀初めに薩摩藩に侵略され、明治初頭には琉球処分で日本に併合された。戦時中、沖縄方言はスパイ言語として禁じられた。敗戦間際の沖縄戦は軍部にとって「本土決戦」準備のための時間稼ぎで、沖縄は「捨て石」だった。

 本土の日本人への思いはいかばかりかと推察するが、我部さんは沖縄県民の感情はそう単純ではないという。

 二〇〇七年の歴史教科書検定で、沖縄戦での集団自決が軍命による強制か否か、が問われた。我部さんも文部科学省から意見を求められた。

 「僕は軍命の有無が焦点ではないと思った。オーケストラでは、指揮者がタクトを落としても演奏は続く。つまり、琉球処分後、“後発日本人”である沖縄人に対し、政府が進め『軍官民一体化』の徹底した皇民、臣民化教育こそが集団自決を準備したと考えた」

 そうした外からの力と同時に、我部さんは県民の心をこう指摘する。

 「県民自らが必要以上に日本人らしくなろうとした事実がある。背景には、当時の朝鮮やアイヌの人々と同様、沖縄人は『二級日本人』という差別や偏見があった」

 敗戦直後、地元では「米軍による解放」を歓迎する空気もあった。しかし、それはすぐに一変する。米軍の「銃剣とブルドーザー」による土地の強制収用、住民の強制移住が始まったからだ。

 「沖縄の墓は大きい。その先祖伝来の墓をブルドーザーが次々とつぶしていく。でも当時、県民はサンフランシスコ講和条約(一九五二年発効)によって日本に復帰できると信じていた。だが、そうはならなかった」

 沖縄は米軍施政下に置かれた。米国は軍用地の無期限使用を目的に、土地所有者に地料の一括払いと新規の土地収用を骨子とする「プライス勧告」(五六年)を発表。これに対して「島ぐるみ闘争」が起きた。だが、米軍統治は揺るがず、財産権、言論の自由といった県民の基本的人権は侵害、否定された。

 経済的にも、五八年まで米軍占領下の沖縄、奄美群島では「B円」が適用された。一ドルは百二十B円(当時、本土では三百六十円)。円より三倍も“円高”なレートは輸出型の地元製造業の発展を妨げ、基地依存型の経済構造を強いた。

 我部さんは六五年から本土の大学院に「留学」した。「当時は東京まで三昼夜かかった」。パスポートを携行した。事実上の発行主である米軍は、申請者を「反米的な人物」とみなした場合には申請を却下した。

 「土地が自分たちのものでなく、法も自分たちで決められず、島からは自由には出られない。まさに異民族が支配する監獄だった。その支配を打ち破るために、祖国復帰運動が始まった」

 だが、“副作用”もあった。「戦時中の日本軍の住民虐殺は長く表面化しなかった。復帰運動が押しとどめた」とみる。「復帰運動に皇民化教育の延長という側面があったことは否定できない」

 七二年、沖縄の施政権が日本側へ返還された。その前夜、地元の復帰運動では基地撤去をめぐって激論が交わされた。

 「いろいろな意見があったが、基地で働く人々の雇用問題もあり、結果的には先送りされた。でも、本土には憲法九条がある。基地撤去は日本人全体が考えるべきことでもあり、復帰後、日本政府が何とかしてくれると皆が信じていた」

 政府に託した夢。ときの自民党政権も、祖国復帰を願う沖縄を取り戻すと約束していた。県民の解釈では、そこには基地撤去も含まれるはずだった。だが、夢は「裏切られ」、基地は残った。

 県民の不満を和らげようと、政府は地元への経済援助に力を入れた。おかげで台風で壊れるような家はなくなったと我部さんは振り返る。だが、基地問題はカネで解決という“霞が関”の発想はもはや通じないという。好例が軍用地料だ。

 「かつては地主に払う軍用地料を上げれば、地元の不満は和らぐという図式があった。ただ、その前提は住民と土地が結び付いていること。しかし、終戦から六十年以上たち、地主も代替わりした。いまや軍用地も投機の対象だ。本土の人も含めて売買されている」

 地元紙には日々「軍用地の売買、買い取り」の広告が出ている。基地被害を軍用地料で補う構造は壊れている。

 本土では、沖縄には振興策などで「迷惑料」が支払われていると語られる。カネが本土の資本に流れているといった問題以前に、我部さんは「迷惑料で沖縄が幸福なら、なぜ本土の地域で基地誘致に手が挙がらないのか。自分の屋敷に戦場(基地)を持ち込みたくないと考えるのは人として当然だ」と苦笑する。

 「それより沖縄には政策とレベルの異なる感情がある。基地は人殺しの道具であり、集団自決の記憶と結び付く。復帰前から日本で最初に核で滅ぶのは沖縄、という不安もいまだ消えない」

 その不安から県民は、反戦地主による裁判など抵抗に挑み続けたが、無力感も色濃く漂った。

 「その状況で政権交代を迎えた。『最低でも県外』という鳩山さんの言葉は、県民が『いつか本土が親身になってくれるかも』という淡い期待に火を付けてしまった」

 琉球処分以降、県民の意思は常に押しつぶされてきた。期待と失望の連鎖。集会に集う県民の心にはそんな歴史的な憤怒が募っている。我部さんは静かにこう語った。

 「たとえ、県外移設が首相のリップサービスだったとしても、県民感情に火が付いてしまった。それは消せないだろう」

 がべ・まさお 専門は日本近代政治史。沖縄県本部町生まれ。本土復帰前の1960年代から沖縄と本土双方で学び、琉球大や山梨学院大などで教えた。著書に「明治国家と沖縄」「近代日本と沖縄」など。東京都在住。70歳。

 <デスクメモ> 鳩山首相は、普天間問題で力説する「五月末決着」の根拠を一切示さず、「腹案」も具体的に明かさない。沖縄県民が首相発言をどんな思いで聞いているか、想像してほしい。首相は事を仕損じれば誰かと交代して済むと思っているかもしれないが、沖縄県民はほかの都道府県民と交代できないのだ。(立)

(C)2010,東京新聞


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Posted by n_n at 21:47 │座り込み