2009年03月30日

「沈黙」破り声上げよう   沖縄・韓国・グアム奪われた尊厳

兪渶子さんの文章を2009年3月30日琉球新報より、全文掲載します。(転載不可)

「沈黙」破り声上げよう   沖縄・韓国・グアム奪われた尊厳

 朝、畑から届く野菜を買いにに行くと、店のおぱあちゃんが、あんたどこね、と聞く。買う白菜の多さに声を掛けてくれたのだろう。韓国よ、と答えた私に、あ、それならウチナーと同じさね、と合計金額の端数はおまけしてくれた。

 ある日、清明祭に招かれたときのこと。ごちそうを前に、長老が話してくれた。読谷の水平線が見えなくなるくらいに、アメリカ軍が一気に上陸してきたんだ。家畜の餌であった草が全滅したんだ。軍靴に踏みにじられて、本当に全滅したままの海辺の草。海を見ながら緑にあふれた記憶を描くような長老の遠いまなざしが忘れられない。柔らかなウチナーアクセントの声も。

 沖縄に移り住んで六年沖縄での出会いは私に、深い問いを与えて続けている。この文を書いている読谷のアパートの上空を嘉手納基地を離着陸する米軍機が飛び、爆音が日常を切り裂く。今日が新嘉手納爆音訴訟二審判決の日だというのに、いつもより激しく、まるでここに人間の暮らしなどないがごとく。

 「私たちは協定の中に登場する『文言』ではないし、『沈黙』もしない。生きる権利を持った『人間』なのだ」。これは二月十八日「金口木舌」の最後の四行の言葉だ。在沖米海兵隊グアム移転協定の前に書かれたこの言葉は届かず、沖縄のさまざまな意志も届かず、協定の署名が行われた。

 三年前、韓国で開かれた平和に問するシンポジウムでグアムの青年が発言した。グアムにアメリカ軍が移転するというが、じゃ、僕たちはどうなるのですか?。青年の問いは沖縄と韓国、グアムに共通する生きる場の共通の苦痛の叫びだ。民族のうめきだ。

 薩摩侵攻四百年、琉球処分百二十年を問うこの年。過去から学ぶとするなら、それは奪われた人間の尊厳を求めて闘った先達の生き方にあると思う。生きる権利としての穏やかな時間を瞬時に砕く軍用機の爆音を、日常の当たり前にしたくない。

 それぞれに「沈黙」を破り声を上げよう。嘉手納に次いでアジア第二のアメリカ軍基地がある平沢で手渡されたハングルのカードの言葉を、愛する人と未来へ届けたい。

 「共に一筋の道ー学ぶということは自ら頭が下がること。教えるということはただ希望に対して語ることだ。愛するということは互いに見つめ合うことだけでなく、同じ所を共に願い見つめることだ」。同じ所とは、戦争のない「自由と平等の国」に決まっている。人間の尊厳を奪い尽くす戦争に反対する人々と共に先達に学び、一筋に愛し続けたい。
(ユ・ヨンジャ、読谷村、真宗大谷派僧侶)



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Posted by n_n at 09:05 │記事